きっかけと流れ

昨日、現自担との出会いを綴って、今日は元担から自担への流れを書くという…


10月のドラマで彼と出会って以降、ジャニーズWEST全員を好きになるのに時間がかかった。(かかったって言っても普通に1.2週間)
友達に関ジュファンがいて、私のために重岡くんや、現ジャニーズWEST、なにきんがででていた少クラをたくさんDVDに落としてもらった。7WESTとして出ていた重岡くんはとてもかっこよくて、ギラギラしていた。
もちろん変わらず嵐も好きだった。ただ、熱狂的だった頃にたてた「一度でいいから嵐のライブやイベに行く」という目標は2013年までに終えてしまって、熱量は以前の半分以下であることは周りからみても歴然だった。
ダブル録画機能がついていないHDDを駆使して時間指定して録画していたwsをとらなくなり、22時からラジオを聴くためにそれまでに寝る用意をするという習慣の時間がずれ、少しでもレギュラー番組で面白いことがあればBDに入れていたのに今では昔いれていた内容を整理して消すようになった。
私が担降りを覚悟したのはそれを自覚してからだった。嵐に合わせていた自分の習慣や、嵐を見ていたせいで少し影響をうけた方弁がだんだんジャニーズWESTに合わせる意識に変わっていく。それを自覚していながら目を逸らしていた。

3年間Twitterで嵐のファンと仲良くさせてもらっていた私は、ジャニーズWESTのファンの方々と仲良くさせていただくようになり、衝撃をうけた。
そこは「感謝」で溢れていた。
ファンにとっては当然の"歌番組出演""レギュラー番組へのゲスト出演""ドラマのバーターや主演""先輩との共演"。
もちろん"当たり前"になるために努力し、その地位にまでのぼりつめたのは彼らであるのは年数からしても実力も歴然だが、最近のファン同士の摩擦や衝突がひどい。私はこの風潮がいやになりつつもあった。
でも、私はこの半年間たくさんの思いに悩まされた。
ジャニーズWEST、関西ジュニアが今まで強いられてきた苦悩、デビュー出の私にはその話を字面で読むことしかできない。カウコンでの、ファンにとっては思い出したくない"昔話"。その事実さえ知っていたものの、当時の関ジュを追いかけていなかった私にとっては、共有したくてもできない、とても歯がゆい思いをした。でもそんな思いを一生ずっとしていくわけではなく、そんなこと思ってるうちに時間は過ぎていくし、いろんなテレビにでてCDをだしてDVDをだして、知名度をあげていく。人気になっていく。そんな彼らについていきたいって思った。今はそれくらい軽い思い。でもとってもくすぐったくて素敵。これから重岡くんやメンバーが見せてくれる景色、一緒にみたい。見させてください。



といういろいろな月日を経て、この半年間なかなか降りきれなかった私ですが、よろしくお願いします。

2015年3月1日


(最後らへんまとめられなさすぎて省略しまくって文脈意味わからないし読み返して文長すぎ!)
これからもっとまとめれるように、上手くかけるように頑張ろう。